まとめ記事:第6回(2期目)課題本『「地方」と性的マイノリティ』
3月開催のまとめ記事です。
・アーカイブページを作成しました
→過去のまとめ記事を閲覧できます。といっても、結局substackのページに戻ってくるのですが。各回ごとにまとめ記事が列挙されています。
→このアーカイブページにツイキャスのリンクを貼っています。動画の閲覧はそこから可能です(今回の閲覧用合言葉は「クローゼット」です)。
→まとめ記事には動画や音声ファイルは貼らずに、文字情報のみになります。
・町田さん、ネオリベばかりの政治塾に半年間頑張って参加していた(ためその間ずっと体調が悪かった)→コミュニティが大事という点で課題本と重なってくる。
・この本は、地方で暮らす性的マイノリティの実情や、そこで繰り広げられる活動について考察することが本の目的。東北の性的マイノリティー団体に関わる23人にインタビューをして、その語りから明らかにしていく手法。→倫理審査の書き方とか、大学でインタビュー形式の卒論とかを書きたい人の参考になるかも
・地方の性的マイノリティーは二重の意味でいないことにされてしまっていた。そして、研究者もその不可視化に加担してしまっていたのではないかという思いから、この本は生まれている。
・活動は「当事者のエンパワーメントや居場所づくり」と「地域社会に対する発信・啓発」の2つに大別できる。とはいえ、発信や啓発のために行うイベントが結果として当事者の居場所としても機能するケースがあって、その両者は混在している。
・大学の同僚がカミングアウトをしてくれて、そのことで「自分もそうだよ」となり、居場所ができた感じがあった。社会運動の本質はそこにあるんじゃないか。社会運動は個人の語り、個人の経験から始まっていく。しかしいまは規模が大きなものばかり想像してしまうし、そっちに染まっていってしまった自分がいる。→都市部での運動はどうしても「規模」「動員数」などの目にみえる・わかりやすい結果が求められてしまう。その結果、マイノリティのための運動が商業に飲み込まれてしまうことも多い。
・本書における「地方」はより正確には「地元」と言ったほうがよい。大事なのは東京から離れてるかどうかという意味での中央と地方ではなくて、その人にとって地元かどうか。→自分やその家族・知人と距離の近い地域だと、運動に参加することによって意図しないカミングアウトが生じる。くわえて、自分以外の周りの人の生活にも悪影響を与えることがあり、むしろそっちを心配してしまう当事者も多い。地方ならではの「コミュニティー」や「親戚関係」の強さ。
・性的マイノリティの中にもパワーバランスがある。たとえばゲイ男性は「男性であること」による特権性(移動のしやすさとか経済的な基盤とか)があるため、コミュニティや運動を必要としない場合もある。筆者・前川さんは、戦後の日本ゲイ男性たちが性規範と経済力における男性の優位性を無自覚に利用して、自らのセクシャリティーをカミングアウトしない状態のまま目前の悩みを解決する方法を編み出してきたことを実証し、これを「クローゼットへの解放」と名付けた。
・中央を名乗り自立しているかに見える東京が、実際には学生や労働力の供給源としての地方に大きく依存している状況が現在も続いている。そして同じ構図が性的マイノリティをめぐる活動にも存在しており、地元から切り離された地方出身者は東京など大都市部の活動で大きな役割を果たしてきた、という分析もある。→東京は運動が活発だけど地方はそうでもない、という状況が生じる理由は、地元から切り離された地方出身者が東京に来てそこで活動してるから?あと、単に都市部だと注目されやすいから(メディアにも取り上げられやすい)。
・都市部の「理解」は実際には「無関心」なのでは?→「まあ別にいいんじゃない。そういうのやってても」というようなのは理解ではなく無関心だが、それを理解とか寛容とかと思っている人もいる。
・性的マイノリティの中でも、とりわけトランスジェンダーは日常の課題から行政との関わりを持たざるを得ないことが多く、必要に駆られての行動が活動に結びついている様子も伺うことができた。
・東日本大震災後に活動団体が増えた。→ポスト・トラウマティック・グロウス(PTG)によるものか?災害や事件事故など衝撃的な出来事の後、大きなストレスを乗り越え、以前よりも成長を遂げること。
・震災後のアンケートで「津波が来たときに自分が逃げようと思えるかどうかわからない」という当事者がいた。避難所の状態も不安だし、そもそもこれから生きたいと思えるかどうかすらわからない、というような回答がある。小見出しにあるように「それ以前の問題」であるということ。→「ジェンダーの問題なんかより〜」とか言ってしまう政治家はクソ。
・コミュニティの中にいても本名などを知らない場合があり、災害時に安否確認ができないことがわかった。ゆえに、より小さく密なコミュニティが必要なのではないか、という思いが強くなり、コミュニティの数も増えたのかもしれない。
・可視性の政治。マイノリティであることを表明する=可視化することで権利獲得を訴えていく手法。しかしそこには当然負担やリスクがある。カミングアウト・露出できる/できないの問題……etc。
・メトロノーマティブな物語=都市的なものを標準的な状態とみなす規範。性的マイノリティが語る自分史には、クローゼットからカミングアウトへという移行のプロットがよく見られる。この移行に子供から大人へという時間的な経過と、田舎から都市へという地理的な移動が重ねられる。成長物語は、発達や成熟という概念とも結びついており、人間は直線的に発達するという前提のもと、前者より後者がより望ましいものとされる。だから、子供より大人の方がいいし、クローゼットよりカミングアウト、田舎より都市の方がいいという前提がある。
・地方=クローゼット、都市=カミングアウトという概念的な結びつきが強固な状況で、カミングアウトによる進歩、すなわち可視性の政治を重視することは、どのような問題があるのだろうか。→可視性の政治は意図せずに、都会以外の性的マイノリティーの生活や活動を周縁化し、結果としてそれらを不可視化するという問題がある。可視性の政治は可視化が解放や権利獲得のために不可欠であるという考え方を強化するので、カミングアウトして自分の顔と名前を出してやらなきゃいけない、という規範も生まれてしまう。解決策としては、地元紙には出ないけど全国紙には出る、仮装して表に出る、など二者択一じゃないグラデーションの露出をすることで撹乱できるかもしれない。
・「受け入れられている存在であること」を見せていく。→「権威に弱い」という面を利用する。お店のオープン時にお祝いの花をたくさん、かつできる限り強そうな名前で送ってくれ、みたいなことをやった。
・リスペクタビリティポリティクス=差別への抵抗において、被差別集団がいかに真っ当な人間であるかを説明する形で差別解消を訴える政治活動のやり方。→マジョリティの共感を得やすい一方で、真っ当でないと見なされたマイノリティを置き去りにするという落とし穴と共に論じられてきた。戦略的に当事者団体たちが取り入れて、奇妙な他人ではなく「どこにでもいる隣人」であることを知らせるのはよいが、アライなど非当事者がその手法を活用するときには注意が必要。
・承認の政治。→権利や法制度の中でマイノリティを保障することはもちろん大事だが、それだけでは本質的には意味がない。尊厳やアイデンティティの基盤になる、集合的な文化や歴史、経験の価値が他者によって尊重され、承認されなければならない。
・特権を「持っている」のではなく特権が「ある」ということ。→人は特権性を指摘されると否定したくなる。しかし「あなたに非がある」のではなく「構造がそうさせている」ということを理解させることができれば、否定感情は減らせるのではないか。
・余談。King & Princeとシンデレラ・ストーリー。王と王子、つまり家父長制的なものを背負わされ過ぎ問題。そしてジャニー喜多川の性加害問題。告発した人、辞めざるを得なかった人たちにいかに仕事を回せるか。それによって、告発しやすい環境や、そもそもそのような権威に頼らないで済む環境を整える。
次回は5/26(金)19〜21時、課題本はアミア・スリニヴァサン『セックスする権利』(勁草書房)です。詳細は以下にて。参加申込は5月に入ってから送るレターにて。